ジョギングのときに考えていること

私は月間 100km 近くジョギングしていて, 特に新型コロナウイルスで行動が制限される (≒出かけられなくなり,やることが無くなる) と さらにジョギングの時間が増えた. ジョギングするのは, ほぼ早朝なのだが, 例えばディズニーランドや USJ に行くように喜んで走りに 行っているかというと, そうではない.

朝, 起きてから, 走りに行くまでに 30 分くらい時間がかかっている. 一刻も早く走りに行きたい! という気持ちは無くて, ダラダラと着替え ながら, そうは言っても時間は気にしないと出勤時間に遅れてしまうので, ダラダラの気持ちと急く気持ちのせめぎ合いの中, 走りに行く. ここを 切り出すと, 私は走ることが好きなんだろうか? と自分でも疑問に思ってしまう.

ただ, 一旦走りだすと, そのまま走り続けることができる. 最初の 1km をそこそこのスピードで走ることができると, 調子に乗って スピードを維持しながら走ることができる. 全てのトレーニングに共通することだと思うが, トレーニングを続けることで, 苦しさ・辛さが 楽になることはなく, 苦しさ・辛さに慣れてくるだけである. 苦しいながらも, 1km ごとのラップタイムに一喜一憂したり, 高い心拍数を 維持できていることを喜んだり, 最近読んだ本のことや仕事のことを考えながら走っている. ジョギング後半になってくると, ジョギング後に 何て tweet しようかと考えるようになり, tweet のネタを探しながら走る.

帰ってきてからは, タイムなどが気になるので, 腕時計をスマホと同期させながら, シャワーを浴び, 着替える. 結果として高い運動強度になって いると嬉しいが, 運動強度が低いとちょっと凹む.

という一連の行動を振り返って, ジョギングの何が楽しいのかというと,

  • 努力の結果が見えやすい. 走っている途中でも 1km ごとのラップタイムを確認すれば, 小さい PDCA を回すことができる.
  • 続けていれば 10km などの長距離を走れるようになり, 大きな PDCA を回すこともできる

ということで, 努力の結果が短期でも長期でも見えるようになることだと思った.

実社会では努力が成果に結びつくとは限らないが, ジョギングは, 私のような レベルであれば努力が成果に結びつく. 他人と比べるのではなく, 過去の自分と比べれば, 成長を実感できる. そこは気分的に良いところだと思う.